ますおの頭の中

自分にとってのしあわせ

この2週間の東京での研修で

本当に自分がいかに恵まれているのか、

自分がいかに幸せな環境にいているのか、

改めて振り返ることができた。

過去の自分が望んでいた自分の姿に環境に

少しずつ近づいているそんな実感を

ひしひしと感じる2週間だった。

僕にとっての「幸せ」ってのは

普通の人からしたらすごいちっぽけかもしれない。

ただ、それは過去の自分が経験したことから生まれた

僕が真に望んでいるもの。

今回はそんな僕にとっての幸せについて

書き綴っていこうと思う。

マスオくん

考えることが大好きなどこかおかしい芋虫。

日々いろんなことを考えています。

ストレスとは?生きるとは?
健康とは?価値観とは?
抽象的だけど
自分に落とし込めば生きやすくなる。
そんな普段考えていることをひたすらに
発信する芋虫でありたいと思っています。

「この発信はきっと誰かの勇気になっている」
そんな想いで自己中心的に発信しています。

詳しくはこちら

マスオくん

幸せって実はめちゃくちゃ身近にあるよね

幸せの形

幸せのかたち

お金持ちだから幸せ?

時間があるから幸せ?

結婚したら幸せ?

社会的に成功したら幸せ?

友達がいっぱいいたら幸せ?

お金がないから不幸?

時間がないから不幸?

独り身だったら不幸?

平社員だったら不幸?

友達がいなかったら不幸?

全てが正解で

全てが不正解だと思う。

「幸せ」=〇〇

とか

「不幸」=〇〇

とか

幸せや不幸の形を簡単に定義できるものでは

もちろんないかなと思う。

お金があるゆえの苦悩

以前何かで見た話を出してみる。

お金持ちのある人の話なんだけど、

その人は自分の交友関係に対して

「自分がお金を持っているから周りに人が集まっているだけで

自分からお金や資産を失くすと自分には何も残らない、

無価値な自分なんじゃないか」

っていう悩みを抱えていたそう。

お金があるが故に、自分の価値の所在がわからなくなって

逆に不安に思ったり、辛く思ったりしている。

この人にとって

「お金」は実は重しなのかもしれない、、、

お金があるから絶対幸せってわけじゃない。

でも、お金があれば選択肢は広がる。

でも、お金があるせいで悩みを持つ人もいる。

至極当たり前のことかもしれないが、

自分だけの幸せを見つけるために

「幸せ」ってのは定義できなくて、

「幸せ」ってのはこれだ!って決めることができない。

だからこそ

「自分だけの幸せ」ってのを見つけないといけない。

どういうことを経験すると自分は幸せなのか?

その自分だけの幸せっていうのをどうやって見つけていくのか、、、

正直、体系的にこうしたらいい!っていうのはわからない。

でも、僕は僕なりの幸せを見つけている。

だからそれを見つけることができた流れを書いていこうと思います。

過去の自分

過去の話は書くと長くなる部分なので、

過去のブログ記事の

「友達は多い方がいい?」

の記事を読んでいただくと僕の過去の全体像がわかると思うので、

一度そちらに目を通してから読み進めていただけたらと思います。

僕は学生時代から1、2年前まで

「人との関わり」がとても苦手だった。

苦手というよりかは怖かった。

仲良くしても裏切られるかもしれない。

裏で悪口を言われてるかもしれない。

自分は存在価値のない人間かもしれない。

そんなことを人と関わる時に思いながら、

本心では

人とのつながりを感じていたい。

人から頼られたい。

腹を割って話し合える仲間が欲しい。

と思っていた。

表の自分と裏の自分

本当は仲良くしたいのに、、、

でも、過去の経験から「怖さ」が表面に出てくる。

これはどういう状態なのか?

「仲良くなりたいなら仲良くしたらいいじゃん!!」

そう言われるかもしれない。

ただ、この表の反応と裏の反応には意味があるのだ。

過去の経験は当時で完了しているはずなのに、

過去の経験は今に全く影響を与えていないのに、

なぜ「怖さ」を出す必要があるのか?

それは

「また信頼して、裏切られた時に傷つくのを防ぐために

過去の出来事から対人関係が苦手という自分を自ら作っている」

ただそれだけ。

だから、過去に何かがあったからっていう

それが原因ではなくて、

「嫌われないためにそもそも人を嫌う、恐れる」ように

都合の良い部分の過去だけ抜粋しているだけ。

これが表面上の自分として出てくるのだ。

だから、

「人と関わって嫌われたくない自分」

「人と関わって仲間や繋がりが欲しい」

という自分は両方とも自分の正しい気持ちなのだ。

マスオくん

この感覚伝わるかなぁ、、、

あ、こんな感じにしたらわかるかな??

本当のマスオくん

もっといろんな人と関わって
腹を割って話せる仲間が欲しい!!
人から頼られる人になりたい!!

自分を守ろうとするマスオくん

いやいや、お前何言ってんねん。
忘れたんか?
学生の頃そう言って裏切られて傷ついたやろ?
だから、お前は人好きにならん方がいい。
関わりをなるべく持たんほうがいい。
だって傷つく可能性あるんやから。
そもそも関わらへんかったら傷つかへんやろ?
合理的やろ??

これが一つの肉体の中で同時に存在しているって感じ。

だから

「仲良くなりたいのに、、、怖い、、、」

という複合した感情が生まれる。

2つの選択を自ら選ぶ

ここから2つの選択を自分で選ぶこととなる。

「傷つかないようにするために人との関わりを絶やす」

もしくは

「傷つくかもしれないが、人との関わりの中から本来の望む自分へ歩みを進める」

短期的に見ると楽なのは前者だ

なぜなら何も変わらなくていい、

何もしなくてもいいからだ。

ただ、長期的に見ると、、、

「本当はこうしたい!という自分に目を背けて生きるから

どんどん自分自身が辛くなっていく。

自分は何のために生きているんだ?そんな悩みが出てくる」

後者はその逆だ。

短期的に見ると

人との関わりに苦手意識がある分、傷つく可能性は大いにある。

だから、最初は傷つき苦しむことが多い。

ただ、

長期的に見ると

人との関わりの苦手意識を克服するために行動し、

少しずつ変化していく。

そして、人間関係への苦手意識を克服し、

少しずつ自分と周りの人との繋がりが感じられ、

「なりたかった自分」に繋がっていく。

マスオにとっての幸せとは?

自分なりの答え

マスオにとっての幸せとは?

「会いたい」と思える人がいること

「会いたい」と言ってくれる人がいること

「また会おう」と言い合える人がいること

たったこれだけだ。

普通の人ならこう言った存在は当たり前に存在しているのかな?

ただ、僕にとっては

この28年間悩み、苦しみ、悶えた「人間関係」という課題が

解決した先にある「答え」なのだ。

友達からの裏切り

親子関係の崩壊

から気づくことができた大切な価値観。

たったこれだけのことだが

僕はたったこれだけのことに

大きな幸せを感じる。

過去の自分との関わり方

いじめを経験して、

親子関係の崩壊も経験して、

愛がなくなる瞬間も経験して、

いろんな悪さをして、

意地悪をして、

生きてきた過去の自分

友達にはきつい言葉を使ってしまったり、

遊びに誘って欲しいのに声をかけれなかったり、

遊びに行きたいのに天邪鬼のように断ったり、

そんな

バカでポンコツな過去の自分でも

今僕は

過去の自分を全力で好きだ。

過去の自分によく頑張ったねって伝えたい。

バカでポンコツな過去の自分は今僕の中にいる。

もし、過去の自分が嫌いと言ってしまうと

今の自分が嫌いということになってしまうし、

黒歴史だからと言って過去の自分を消したいなんて思うなら、

今の自分の存在を否定することになってしまう。

過去の自分が当時辛い思いをして、耐えて、生きてくれたおかげで

今の僕が存在していて、

そういう経験をしたからこそ

いわゆる「当たり前」だということに対して

「有難い」という感情が生まれ、幸せだと感じることができている。

過去の自分は本当に強かった。偉大だった。

ただただそんな過去の自分には感謝の念しかない。

東京研修の2週間

本当にこの2週間は

自分にとって大きな大きな転換点かもしれない。

さっきも言った

僕にとっての「幸せ」が次々と感じることができた。

研修が決まった時に

「会いたい」と思える人がいた。

関東に来た時に

「会いたい」と言ってくれる人がいた。

研修が終わった時に

「また会おう」と言い合える人がいた。

転職をして

「最近どう?」と気にかけてくれる人がいた。

何気ない小さなワンシーンだけど

僕にとっては

言葉では表せれないほど大きな大きな

「幸せ」

今まで悩んでいた

「人間関係:というぐちゃぐちゃに絡まっていた

糸がスルスルっと解かれていかれるような

感覚をこの2週間では感じることができた。

「あーもう人と関わることって怖くないな」

そう自然と思えた2週間になった。

こんな癖の強い、変な僕と

関わりを持ってくれた人たちには

本当に本当に大きな感謝と尊敬しかないです。

これからもどうぞよろしくお願いします^^

まとめ

「幸せ」って別に派手なものじゃなくてもいい。

周りと比べなくていい。

自分が

「自分らしく」生きられていたら

それが一番の幸せ。

自分らしい自分になるために

一歩ずつ歩みを進めよう。

Slowly but surely I go on

遅くとも一歩ずつ着実に歩みを進める。

そんな感じ!!!

終わり!!!!