今日高校の友達と3年ぶりぐらいに呑みに行った。
たまたま僕が東京に研修に行くことになったから誘った。
そんな何気ない日常の中から
今まで悩んでいた「友達」ということについて
気付きがあり、自分の中で解決できたことを今回は
ただ書き綴って行こうかなと思う。

考えることが大好きなどこかおかしい芋虫。
日々いろんなことを考えています。
ストレスとは?生きるとは?
健康とは?価値観とは?
抽象的だけど
自分に落とし込めば生きやすくなる。
そんな普段考えていることをひたすらに
発信する芋虫でありたいと思っています。
「この発信はきっと誰かの勇気になっている」
そんな想いで自己中心的に発信しています。
詳しくはこちら
過去のお話から今日の出来事まで
つらつらと書いているので、
ちょっと長めです^^
友達100人できるかな?
そんな歌を小学生の時に歌っていた記憶がある人は多いのではないでしょうか?
小学生になる時に
わんぱくなマスオ少年は
「友達100人なんて簡単や!」
と豪語していたことを今でもはっきり覚えている。
幼稚園の頃はしゃべった人は全員友達!
みんな大好きでよく遊んでやんちゃ坊主だった。
ただ、そんなことを言っていた僕だが、
「友達100人できるかな?」
「みんな仲良くしましょうね」
「友達が多い人が人気者」
「友達は多ければ多いほうがいい」
そんな日本の「常識」に苦しむことになった。
それを今日ようやく払拭できたのかもしれない。
そう思い、記録としてブログを書き綴っています^^
まずは今までの僕の人生の軌跡から簡単にお話ししていきます。
[長いけど読みたい人はどうぞ笑]
小・中学校の闇の時代
何故その日本の「常識」というものに苦しんでいたか。
それは小中学生の出来事が大きく関係してくる。
学校での居場所を失う
「友達100人なんて簡単や!」
そう言っていたのは最初だけ。
僕は小学校でも中学校でもイジメの標的になった。
小学校では些細なことだった。
「ちび」「デブ」「でべそ」
今となっては何故そんなことで悩んでいたのかと思う程度のことだが
当時の僕からしたらすごく辛い、重い言葉だった。
中学校では
イケイケな彼が好きだったAさんを
僕も好きになった。
そして、僕はその子と連絡を取っていた。
イケイケな彼が「連絡するな」「手を引け」と言ってきたが
無視して連絡をしていた。
そうするとイジメの標的になった。
学校から家まで追いかけられたり、
家の前に爆竹を投げられたり、
暴力を受けたり、脅されたり、
そんな日常が僕にとって当たり前だった。
家での居場所を失う。
そんなイジメを受けている時に
安心できる場になるのは
本当は「家」だったはず。
ただ、中学でイジメを受けている時、
家では父の浮気が発覚し、
常に家は冷戦状態。緊張した空気が流れていた。
浮気が発覚してから明らかに
父親からの愛情を感じることはなくなった。
「自分にとって心から落ち着くところはどこだ?」
気がつけば、、、
そんな生活を送っていると、
あれだけ
「わんぱく」で「人が好き」で「陽気」な僕が
「消極的」で「対人恐怖」で「無口」な僕になってしまっていた。
人と喋る時にどうしても壁を作ってしまう。
自分を守ろうとしてキツイ口調で話してしまう。
自分のパーソナルスペースに入れないようにする。
本来のあるべき姿の自分にフタをして
取り繕った自分で生きるようになる。
つまり、本来もつ自分らしさ・個性を失った状態で生きるようになる。
高校生の時に言っていたことが
「信じられるのは自分と金だ」
そんな澱んだ心になっていた。
憧れ
ただ、そんなことは言いながらも
友達とワイワイ遊んでいる人を見ると
すごく羨ましかった。
なんであの人にはあんなに人が集まるのに
自分には集まらないのだろう?
そんなことを思いながら日々生きるようになる。
自分の本質は
「人が好き」
なのに
取り繕っている自分は
「人が嫌い」
だから
そのギャップに気づかず苦しんでいたのだろう。
「人が嫌い」になった理由は
「人が嫌い」であれば嫌われても傷つかないから。
自分を守るために人が嫌いを演じていた。
「友達がいることが当たり前」
「友達がいない奴は嫌われている」
「友達は多い方がいい」
「人から好かれないといけない」
そんな固定観念が僕自身を苦しめていた。
そう今では思う。
本質には逆らえない
ただ、人間というのは本心には逆らえなくできているようで
高校生の時から
「人から好かれるためには?」と検索してみたり
ブックオフに売っている100円の心理学の本を買って読んでみたり
コミュニケーションを学んだり
そんなことを実はやっていた。
本質では
「人が好きで好きで仕方がない」
だから、人から好かれるようになるためには
どうすればいいのか?
をひたすら考え、学んでいたのだろう。
そして、進学を決めたのも
「東洋医療専門学校 柔道整復師学科」
整骨院の先生になるという道を選んだのだ。
どう考えても「人と関わる」仕事。
当時の自分は導かれるままにその道を選んだ。
当時「柔道整復師」以外の選択肢は全くなかった。
「柔道整復師」になるために生まれて、
今後生きていく。そう感じていた。
人に好かれたいのに嫌われる。
専門学校でも、
始めての職場でも、
その後転職した職場でも、
人間関係は「良い」と言えるものではなかった。
喋っていても良い顔されないし、
自分の居場所はどこにもないと心から感じていた。
転職先の職場では有難いことに
入社して3ヶ月で副院長を任せていただいた。
その時の自分の振る舞いは見るに耐えないものだっただろう。
自分では副院長としての役割を全うしようと
自分にできることを全力でやっていたつもりだった。
ただ、
「他のスタッフから不満が出ている」
そう聞いたときは正直混乱した。
「やっぱり自分はダメなんだ、、、」と
心底思い、当時の院長といった呑みの場で悔しさが溢れ、
人目を気にせずに号泣したのを今でもしっかりと覚えている。
何度も異動を繰り返し、
何度もスタッフとの関係悪化を繰り返し、
人に好かれたいのに、嫌われる、、、
そんな毎日に悶えて、苦しむ日々送った。
人生の転機が訪れる
とある人物との再会で人生が動き始めた
好かれたいのに嫌われる。
そんな自分が本当に嫌で嫌で仕方なかった。
そんな時に専門学校の時の数少ない友人の一人
山本ハルユキ[以降ハル]との出会いが僕の人生を一変させる。
元々転職先には専門学校の時の同級生の松永の紹介で入社した。
その松永とハルがtg-eという経営シミュレーションゲームをしているとのことで
それに呼ばれたのがハルと専門学校以来再会するきっかけだった。
tg-eというのは表面上は経営シミュレーションゲームだが、
ほとんどの行動・選択は「自由」で
その人の価値観や考え方がゲームに大きく投影されるものである。
つまり、経営シミュレーションゲームとして遊ぶこともできるが
その人の価値観や考え方を表在化させ、見直すきっかけにもなるゲームである。
松永、ハル、僕は後者の使い方でこのゲームをしていた。
ハルはこのtg-eというものを既に学び何度も繰り返し、
プレイヤーというよりかはコーチというような立ち位置で
いつも参加してくれていた。
そのtg-eを行っている中でハルから
「まっすーはいつも中途半端にしかしてない。
行ききってない。だからいつも上手くいかない。」
図星だった。
まるで返付きの針で刺されたかのような感覚だった。
いつも逃げ道は準備して生きてきた。
そんな的の得た言葉を相手のためと思って投げかけてくれるハルは
本当に信頼できる人間だと
この時に思った。
自分を変えたいの一心での行動
ハルは「琉球キネシオロジー」というセッションをしている。
怪しいと感じるかもしれないが
その人の筋肉の反応を見て、
その人のトラウマや悩み、解決したいことに対して
気付きを与えるセッションだ。
1回のセッションで3万円 [今はもう少し上がっているのかな?]
心理カウンセリングとは全くの別物だ。
これは経験した人にしかわからない領域のものだと思う。
ちなみに僕はこのセッションに
お金では表すことが出来ないくらいの価値を感じた
正直何が得られるかわからなかった。
正直半信半疑だった。
正直自分の内側を知ることが怖かった。
ただ、
「自分を変えたい」
ただ、その一心での行動だった。
実際のセッションを受けて

これが実際の僕のセッションの内容。
正直第3者が見てもわからないようなものだと思う。
真ん中に大きく書いてある
「自分って何かわからん」
これが僕の解決したかったこと。
そこから関係していることを深堀して、過去をの価値観や経験を話す。
こればっかりは経験しないとわからない。
実際のセッションを受けて、今の自分が何を感じているか?
それは
「人生が生きやすくなった」
「自分らしさを取り戻した」
抽象的だが、
まさしくこれが今の自分が感じていること。
今まで自分の心[自分らしさ]の表面にあった硬い重たい殻が剥がれ落ちた
そんなイメージ。
だから、自分らしさを今までよりも当たり前のように出せるし、
人と接する時に昔みたいに恐怖心を感じることもない。
「人が好きだ」
セッションを受けてそう声を大にして言えるようになった。
本当に大切なもの
そういう人生の紆余曲折があった上で
今は「人が好きだ!」と言える状態である上で
まだ、
「友達が少ない」と
悩んでいる自分がいた。
誰かとの繋がりを感じていないと不安になる自分がいた。
ただ、その悩みも今日ついに
自分の中で消化できたかもしれない。
そう思ったからこのブログを書き始めた。
「友達は多い方がいい」
「人とは仲良くした方がいい」
「人から好かれた方がいい」
そんな固定観念、こびりついた概念が
今までの自分に取り憑いていた。
「友達は少なくていい」
「人とは仲良くしなくていい」
「人から好かれなくてもいい」
そう思えた出来事は何気ない日常の中で、何気なく行った高校の友達との呑み会。
高校の時に出会い、
高校卒業して今日を含めて3回しか呑みに行っていないような奴だ。
たまたま会社の研修で東京に2週間行くことになった。
そう決まった時に真っ先に浮かんだのがこの友達だ。
ただ、なぜ真っ先に浮かんだかは正直わからない。
実際に会うと3、4年ぶりに会うのに
そんな懐かしい感じもなく、
普通に喋り、
安い居酒屋で
たわいもない話をして、
過去の出来事を語って、
近況報告をして、
夢を語って、
別れる時も惜しみも大してなく、
また近々会うような感じでお互い帰る。
そんな日常的な当たり前の1日を過ごして
「100人の浅い関係の友達」より
「夢を語れる1人の友が良い」
「100人と浅く仲良くなる」より
「1人と人生を深く関わるくらい仲良くなりたい」
そして、
全力で自分の夢・目標に向かおうとする
この大切な友人を全力で応援できる存在でありたい。
そう感じたのが今日だった。
表面的に見えないような繋がりでも
何年も会っていないような繋がりでも
心の底の深い部分でしっかりと繋がっているなら
それでいいじゃないか。
浅く広くではなく、深く狭く
そう生きていく。
もちろん深い部分で繋がりを持てる人が増えたらそれは嬉しいことだが、
今の僕はそんな器用に何人も深い関わりを持つことはできない気がする。
これは今後の課題としよう。
何気ない出来事から
何気ない発見があり、
それが自分の人生を大きく変えることになる。
これだから人生は楽しい。
これだから変化は楽しい。
これだから人は面白い。
社会的な成長より
人間的な成長。
そんなことを思いながら、
また明日から不器用なりに
遅くても着実に一歩ずつ歩みを進めようと思う。
そんな感じ!!
終わり!!!